あと1週間で商品が届くはずだったのだが、Vladimir Horowitz live at Carnegie HallとCentenary Edition 1913-13 Berliner PhirharmonikerのBox setを土壇場でキャンセルした。
都合2.5万円程の節約になる。
BrendelのHaydnの演奏を聴いていて思ったのだ。私は音楽をきちんと理解して聴いているのだろうか?
Haydnはリサイタルなどで積極的に採り上げられる作曲家ではない。
聴くとしたら、習っているピアノの演奏の参考にするといった聴き方が殆どなのではないだろうか?
NHK・FMの放送をUSBメモリに録音しようとして失敗した。失敗したお蔭で予約録音を含め、やり方は身に染みて良く理解出来た。
Horowitzの放送は再放送を予約録音することでカヴァー出来る。
だが、吉田秀和さんの放送は残念ながら再放送がない。
特にGouldとBrendelのHaydnは良い演奏であった。またCDを買う予定もなかったので録音を逃したことが大変無念に思えた。
無念の余りかっ!とした。
頭に血が登ってそのCDを買おうとしたのだ。
だが、そこ迄つぎ込む資金は私にはない。少しは将来のことをぼちぼち考えて行かねばならない。
煙草も止めてしまったので長生きする可能性すら出て来てしまっている。それにもう早死にする計画は頓挫してしまっている。
それより何より、そこ迄して買う程私に音楽を理解する能力があるのだろうか?
BrendelのHaydnは良い演奏だと思う。だが、私には十分理解出来ないという事も、はっきりと分かってしまう演奏だった。
画期的なペダルの使い方をしているのかも知れない。聴く人が聴けばそれが分かるのかも知れない。
ピアノを演奏する人は、それを参考にして自分の演奏に活かして行く事も出来るのかも知れない。
だが、私はピアノのレッスンをした事もない。
理解出来る訳がないではないか。
この所聞き込んで、以前よりクラシック音楽への理解は以前より深まったと思う。だが、所詮は音楽素人の余技に過ぎない。
ならばFMやネットラジオで愉しむ程度でも十分なのではないか?それに、今ならばYouTubeもある。
Boxセットは確かに1枚当たりの値段を考えたら得なのかも知れない。けれど問題は総額だ。
消費税が上がる前に高額な買い物をしてしまおうと思ったのだが、買い物そのものを控えるという手もある。
勢い込んで数十枚のCDを購入しても、1回だけ聴いてそれでお仕舞いでは余りに無駄というものだ。
CDを購入して満足するのはもしかしたら物欲という魔物だけなのではないだろうか?
計画していたBoxセットのCDの枚数は150枚余りに上る。1日1枚聴いたとして3ヶ月掛かる。
商品の到着が遅れるというメールがamazonからあった。
本来ならばもう届いている頃だ。
これは何のお達しだ?
今なら未だ間に合う。
止めよう!
そう思ったのだ。
私の脳はまだ暴走を起こすが、この所それを土壇場で引き留める事が出来るようになってきた。
20130829
20130825
"世界のピアニスト"
NHK・FMがやってくれるもうひとつの企画はこれ
『吉田秀和が語った“世界のピアニスト”』
これは月曜日から金曜日にかけて5日連続で放送される。
吉田秀和さんの『名曲のたのしみ』 はかなりの確率で聴いていた。けれど、私はそれを十分活かしてきたとは思っていない。
クラシック音楽、それもピアニストにのめり込んだのはつい最近の事だ。
その吉田秀和さんもピアニストには格段の関心を寄せていた。むしろそれ故に余りにレベルが高く、吉田さんの助言を活かすことが出来なかったのだと思う。
この所、私の部屋には昼間、間断なく音楽が鳴り響いている。
ホロヴィッツを聴き直したのが切っ掛けだった。だから最初はYouTubeでこれと思う演奏者の動画を拾い集めていた。
そのうちにそれだけでは満足できなくなっていった。
まだ始まったばかりだが、そしてすぐ資金が尽きるだろうがクラシック音楽のCD、それもBoxセットを1万位で買い求め、それを中心に聴くようになった。
ピアニストが多い。
なので往年の吉田秀和さんの放送、それもピアニストを語っている吉田秀和さんの声を聞くことが出来るのは大変有り難い。
今ならば、吉田さんにもう少し寄り添ってお話を伺うことが出来そうな気がしている。
放送予定は次の通り。
26日(月)「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」
27日(火)「グールド、ブレンデルのハイドン」
28日(水)「シフのシューマン、ピレシュのシューベルト」
29日(木)「ガヴリロフとヒューイットのラヴェル」
30日(金)「リパッティ、ツィマーマンのショパン」
どれも斬新な切り口だ。
しかも吉田秀和さんでなければ出来ないような選曲もされている。
例えば26日の「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」では、選ばれている曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で決して人気曲とは言えない第32番ハ短調のみなのだ。
このような番組編成は吉田さんでなければ許されないだろう。
いやが上にも期待感が盛り上がる。
これら放送には再放送が予定されていない。
『吉田秀和が語った“世界のピアニスト”』
これは月曜日から金曜日にかけて5日連続で放送される。
吉田秀和さんの『名曲のたのしみ』 はかなりの確率で聴いていた。けれど、私はそれを十分活かしてきたとは思っていない。
クラシック音楽、それもピアニストにのめり込んだのはつい最近の事だ。
その吉田秀和さんもピアニストには格段の関心を寄せていた。むしろそれ故に余りにレベルが高く、吉田さんの助言を活かすことが出来なかったのだと思う。
この所、私の部屋には昼間、間断なく音楽が鳴り響いている。
ホロヴィッツを聴き直したのが切っ掛けだった。だから最初はYouTubeでこれと思う演奏者の動画を拾い集めていた。
そのうちにそれだけでは満足できなくなっていった。
まだ始まったばかりだが、そしてすぐ資金が尽きるだろうがクラシック音楽のCD、それもBoxセットを1万位で買い求め、それを中心に聴くようになった。
ピアニストが多い。
なので往年の吉田秀和さんの放送、それもピアニストを語っている吉田秀和さんの声を聞くことが出来るのは大変有り難い。
今ならば、吉田さんにもう少し寄り添ってお話を伺うことが出来そうな気がしている。
放送予定は次の通り。
26日(月)「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」
27日(火)「グールド、ブレンデルのハイドン」
28日(水)「シフのシューマン、ピレシュのシューベルト」
29日(木)「ガヴリロフとヒューイットのラヴェル」
30日(金)「リパッティ、ツィマーマンのショパン」
どれも斬新な切り口だ。
しかも吉田秀和さんでなければ出来ないような選曲もされている。
例えば26日の「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」では、選ばれている曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で決して人気曲とは言えない第32番ハ短調のみなのだ。
このような番組編成は吉田さんでなければ許されないだろう。
いやが上にも期待感が盛り上がる。
これら放送には再放送が予定されていない。
20130824
ホロヴィッツ変奏曲
来週はNHK・FMが来ている。長い間、エアチェックという言葉も死語になっていたが、これは録音しておこうと思っている企画がふたつほど続く。
その内のひとつ。
『ホロヴィッツ変奏曲 ~名盤を通して知る大芸術家~』
神と崇めるピアニストのひとりだ。
だが、苦い思い出もある。
80年代も半ばのことだったと思う。
私にも付き合っていた女の子がいた。
私は椎名町の下宿で、その彼女にキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴かせた。
好きな曲だし、今でも良いと思っている。
その女の子はこんな感想を述べた。
「あのお爺ちゃんよりずっと上手!」
あのお爺ちゃんとは誰あろうウラジミール・ホロヴィッツその人のことだった。
かなり愕然とした事を覚えている。
キース・ジャレットは下手なピアニストでは決してない。むしろ巧い。だが、あのホロヴィッツと比べようというその発想そのものが私にはなかった。
ホロヴィッツは神様だった。
その頃TVは持っていなかった。だからNEWSを観たのではない。
どうやって知ったのかよく分からない。
だがホロヴィッツが来日し、かなり残念なリサイタルを開いたと言う話は知っていた。
愕然としたのはその女の子が熱心な音楽ファンではなく、むしろ純然たる音楽素人だったことに起因する。
その女の子が聴いてもはっきり分かるほど駄目だったのか!
私は思わず黙り込んでしまった。
以後、長い間ホロヴィッツを聴かなかった。
ホロヴィッツを聴かなくなったのは私にとっては吉田秀和のせいではない。この女の子のこのひと言が大きかった。
中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』にはこんな描写もある。
老いたホロヴィッツ。その存在を私は認めたくなかった。
自分の神だった存在を神のままにしておきたかったのかも知れない。私はあからさまにホロヴィッツを聴くのを恐れ、封印した。
つい最近、恐る恐るYouTubeでホロヴィッツの演奏を聴いてみた。それも来日したときより老いている年代の録音のものをだ。
良い!
はっきりとそう思った。
ホロヴィッツは老いて駄目になってしまったのではなかったのだと理解した。あの1983年という年が偶々駄目だったのだ(来日の直前のニューヨークでの演奏もあまり良くなかった)。
そして悟ったのだ。
あの中村紘子の文章は、ホロヴィッツが駄目になってしまったと言いたかったのではなかったのだ。
若き日のホロヴィッツが如何に想像を絶して凄かったかと、そう言いたかったのだ。
その凄いホロヴィッツは、私は体験したことがない。今度のNHK・FMの放送で、古い録音は放送されるのだろうか?
愉しみだ。
放送の予定は次の通り。
26日(月)第1変奏
「奇跡のピアニスト、ホロヴィッツ ~その魔性のピアニズムに迫る~」
27日(火)第2変奏
「ガラスのハート ~繰り返される引退、そしてカムバック~」
28日(水)第3変奏
「ロシア郷愁 ~晩年の録音とロシアへの思い~」
29日(木)第4変奏
「ホロヴィッツの愛した名曲たち ~唯一無二のレパートリーを聴く~」
実はホロヴィッツのカーネギーホールのリサイタルを網羅したらしいBoxセットをもう注文してしまっている。少し到着が遅れるという報せがあった。
それを楽しみにして、来週の放送も愉しもうと思っている。
その内のひとつ。
『ホロヴィッツ変奏曲 ~名盤を通して知る大芸術家~』
神と崇めるピアニストのひとりだ。
だが、苦い思い出もある。
80年代も半ばのことだったと思う。
私にも付き合っていた女の子がいた。
私は椎名町の下宿で、その彼女にキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴かせた。
好きな曲だし、今でも良いと思っている。
その女の子はこんな感想を述べた。
「あのお爺ちゃんよりずっと上手!」
あのお爺ちゃんとは誰あろうウラジミール・ホロヴィッツその人のことだった。
かなり愕然とした事を覚えている。
キース・ジャレットは下手なピアニストでは決してない。むしろ巧い。だが、あのホロヴィッツと比べようというその発想そのものが私にはなかった。
ホロヴィッツは神様だった。
その頃TVは持っていなかった。だからNEWSを観たのではない。
どうやって知ったのかよく分からない。
だがホロヴィッツが来日し、かなり残念なリサイタルを開いたと言う話は知っていた。
愕然としたのはその女の子が熱心な音楽ファンではなく、むしろ純然たる音楽素人だったことに起因する。
その女の子が聴いてもはっきり分かるほど駄目だったのか!
私は思わず黙り込んでしまった。
以後、長い間ホロヴィッツを聴かなかった。
ホロヴィッツを聴かなくなったのは私にとっては吉田秀和のせいではない。この女の子のこのひと言が大きかった。
中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』にはこんな描写もある。
私は1965年にニューヨークのカーネギーホールで行われた、ホロヴィッツの12年ぶりのカムバック・リサイタルを聴いている。その時彼は60歳をわずかに過ぎたばかりで、日本で「ヒビの入った骨董品」などといわれる20年も前のことだったが、私は最初の1音を聴くなり「ああ、我らがホロヴィッツも老いたり」と思ったものだった。
老いたホロヴィッツ。その存在を私は認めたくなかった。
自分の神だった存在を神のままにしておきたかったのかも知れない。私はあからさまにホロヴィッツを聴くのを恐れ、封印した。
つい最近、恐る恐るYouTubeでホロヴィッツの演奏を聴いてみた。それも来日したときより老いている年代の録音のものをだ。
良い!
はっきりとそう思った。
ホロヴィッツは老いて駄目になってしまったのではなかったのだと理解した。あの1983年という年が偶々駄目だったのだ(来日の直前のニューヨークでの演奏もあまり良くなかった)。
そして悟ったのだ。
あの中村紘子の文章は、ホロヴィッツが駄目になってしまったと言いたかったのではなかったのだ。
若き日のホロヴィッツが如何に想像を絶して凄かったかと、そう言いたかったのだ。
その凄いホロヴィッツは、私は体験したことがない。今度のNHK・FMの放送で、古い録音は放送されるのだろうか?
愉しみだ。
放送の予定は次の通り。
26日(月)第1変奏
「奇跡のピアニスト、ホロヴィッツ ~その魔性のピアニズムに迫る~」
27日(火)第2変奏
「ガラスのハート ~繰り返される引退、そしてカムバック~」
28日(水)第3変奏
「ロシア郷愁 ~晩年の録音とロシアへの思い~」
29日(木)第4変奏
「ホロヴィッツの愛した名曲たち ~唯一無二のレパートリーを聴く~」
実はホロヴィッツのカーネギーホールのリサイタルを網羅したらしいBoxセットをもう注文してしまっている。少し到着が遅れるという報せがあった。
それを楽しみにして、来週の放送も愉しもうと思っている。