20170228

『ツァラトゥストラ』

関東と北陸で春一番が吹いた日、部屋でFM放送を聴いていたら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』が掛かった。壮大な曲だ。
聴いている内にそう言えばニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』は本棚にあったかな?と気に掛かった。探してみたのだがない。売ってしまったのだろうか?そうも思ったが、気になる。そもそも買ってあったのだろうか?

フィードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』は、高校の時読もうと試みて挫折している。

難解さは勿論の事、その注釈の多さに辟易した記憶がある。
調べてみると、文庫で持っていた筈の件の本は、買った記憶すらない代物である事が分かった。

どうしても読みたくなった。

信頼を置いている光文社古典新訳文庫から『ツァラトゥストラ』という題名で出ている。それを選んで購入した。丘沢静也という人が訳していた。

本は3日ほどで届いた。

上巻の裏表紙にこうあった。

「人類への最大の贈り物」「ドイツ語で書かれた最も深い作品」とニーチェが自負する永遠の問題作。神は死んだ?超人とは?……。キリスト教の道徳を激しく批判し、おごそかさや重さをせせら笑い、歌い、踊る。これまでのイメージを覆す、まったく新しいツァラトゥストラの誕生!

恐れをなした。際物ではないのか?

従来のイメージを覆す訳。それを光文社古典新訳文庫はいつも狙っている。読みやすくなって随分助けられている。だが、最初に読むツァラトゥストラとして適しているのだろうか?

スタンダードなツァラトゥストラも欲しくなった。

探してみた。

河出文庫からも『ツァラトゥストラかく語りき』が出されていることが分かった。光文社古典新訳文庫版は2010年の発行だが、河出文庫版は2015年の発行だ。

光文社古典新訳文庫版が余りにも従来のイメージを覆してしまったので、その反動として求められたスタンダードな訳なのではないか?

勝手な憶測だが、そう思いもしてみた。

amazonの商品の説明にはこうあった。

「わたしはこの本で人類への最大の贈り物をした」(ニーチェ)。あかるく澄み切った日本語による正確無比な翻訳で、いま、ツァラトゥストラが蘇る。現在もっとも信頼に足るグロイター版ニーチェ全集原典からの初の文庫完全新訳。読みやすく、しかもこれ以上なく哲学的に厳密な、ツァラトゥストラ訳の新標準が、遂にあらわれた。―この危機の時代のために。ふたたび。諸君、ニーチェは、ここにいる。

この売り文句に惹かれた。古書が余り安くなかったのでKindle版を購入した。

佐々木中という人が訳していた。

さて、どちらを読み始めようか?

少し迷って、最初のうちは両方を交互に読んで行こうと決めた。そのうちに気に入る方が決まって来るだろう。

だが、この考え方は甘かった。私は遂に最後までどちらか一方に焦点を当てることが出来ず、両方の本を同時に読み終えることとなった。私には両方の訳が必要だったのだ。

それで良かったのだと今では思っている。とても一回読んだだけで理解出来る本ではなかった。読んでいるうちに、例外は多々あったが、章または節毎に、最初に丘沢訳を読み、続けて佐々木訳を読むパターンが確立した。ニーチェに対するイメージの豊かさは丘沢静也氏に軍配が上がるが、ドイツ語の知識は佐々木中氏の方に豊富さを感じたのだ。なので全体的な雰囲気を丘沢訳からくみ取り、細かなドイツ語の正確性などを佐々木訳に求める結果となった。

どれ程異なった訳をしているか、冒頭の部分を引いてみよう。

─光文社古典新訳文庫版丘沢静也訳─
ツァラトゥストラの前口上
     1
30歳のとき、ツァラトゥストラは故郷を捨て、故郷の湖を捨てて、山に入った。そこで自分の精神を楽しみ、孤独を楽しんで、10年間、退屈することがなかった。だがとうとう心が変わった。──ある朝、朝焼けとともに起きて、太陽にむかって立ち、こう言った。
「おお、大きな星よ!お前に照らされる者がいなかったら、お前は幸せだろうか!
この10年、お前はこの洞窟のところまで昇ってきた。俺や、俺の鷲や、俺の蛇がいなかったら、お前は自分の光とその軌道にうんざりしていただろう。
だが、俺たちは毎朝お前を待ち、お前からあふれ出るものを受け取り、感謝して、お前を祝福した。
ほら!俺は自分の身につけた知恵に飽きてきた。蜂蜜を集めすぎた蜂のように。俺の知恵を求めて差し出される手が、必要なのだ。
賢い人間が自分の愚かさに気づいて喜ぶまで、貧しい人間が自分の豊かさに気づいて喜ぶまで、俺は知恵をプレゼントしたい。分配したいのだ。
そのためには、俺が下まで降りていくしかない!お前は、あまりにも豊かな星だから、日暮れには、海のむこうに沈み、下界に光をもたらしているだろう。

─河出文庫版佐々木中訳─
ツァラトゥストラの序説
     一
ツァラトゥストラは三十路になったとき、故郷と故郷のみずうみをすてて山に入った。そこでみずからの精神をよろこび、孤独を楽しんで、十年のあいだ倦むことがなかった。しかし、ついに心が変わった。──ある朝、朝焼けて赤い空の光とともに起き上がって、太陽に向かってあゆみ出ると、こう語りかけた。
「君よ、大いなる星よ。いったい君の幸福もなにものであろうか、もし君にひかり照らす相手がいなかったならば。
十年間、君はここまで昇り、わたしの洞窟までやって来てくれた。もしそこにわたしと私の鷲と蛇がいなかったら、君はみずからの光にも、その歩んできた道のりにも、倦々(あきあき)してしまったことだろう。
しかし、われわれは夜あけごとに君を待って、君のあり余る充溢を引き受けると、そのような君をよろこんで祝福した。
見よ。わたしもみずからの知恵に飽きた。あまりにも夥(おびただ)しく蜜を集めた蜜蜂のように、わたしは手を必要とする、わたしの知恵にむかってさしのべられるあまたの手を。
贈りたい。分け与えたい。世の知者たちが再びおのれの無知に、貧者たちがふたたびおのれの豊かさに、気づいてよろこぶに至るまで。
そのためなら、わたしは低い所へとくだっていかねばならない。君も暮れ方になれば海の彼方に沈み、昏(くら)い下界にも光をもたらしているように、君よ、豪奢なまでにゆたかな星よ。

随分違う。

だがどうだろう。このふたつを続けて読むことによって、よりドイツ語に近付くこと、つまりよりニーチェに近付くことが可能になるような気がしてこないだろうか?

両方の訳に共通しているところもある。注釈が(丘沢訳には少しだけあるが)ない。これは思い切った訳し方だ。

『ツァラトゥストラ』は聖書のパロディーでもある。だからその気になればいくらでも注釈を付けてなぜニーチェはここでこの様な言い方をしているのかを解説することが出来る。また、そうしたくなる。

私たちの文化には、暗唱する程聖書を読み込む習慣がない。なので『ツァラトゥストラ』を読んでもどこがどの様な聖書のパロディーなのか判別がなかなか付かない。

その知識が全く得られないのは、残念と言えば残念だが、それをした訳を、私は高校の頃読んでいる。《原文が、解釈のなかに隠れてしまった》(丘沢訳『ツァラトゥストラ』上巻「訳者あとがき」より)ような訳だった。

思い切って注釈を省略した丘沢・佐々木両氏の英断に感謝したい。この事によって、私はツァラトゥストラの物語に全神経を集中させることが出来たと思っている。


この本はツァラトゥストラが旅をしながらみずからの思想を説くというスタイルを取っている。その思想とは、神は死んだであり、神の死以後のニヒリズムを超克するための超人思想であり、超人に至るために必要な永遠回帰の思想である。

しかしニーチェはなぜこれらの思想を文学的な「ツァラトゥストラの語り」として発表したのか?

それを解く鍵はニーチェ自身の生い立ちを理解する必要があるのだろう。

天才の名を欲しいままにした少青年時代。その後の27歳で味わった『悲劇の誕生』の発表と学会からの無視。ルー・ザロメへの恋と大失恋。

これらのことから抱かざるを得なかったルサンチマンを克服するために、ニーチェには物語が必要だったのだ。

ツァラトゥストラとはニーチェ自身のことだろう。

時代も行き詰まっていたし、ニーチェ自身も行き詰まっていた。それだけに、その混迷を抜け出す新秩序を無から生み出しうるのは自分しかいない。そのようにニーチェは考えていたのだろう。則ち彼はツァラトゥストラを通して時代と格闘したのだ。

キリスト教の道徳はもはや何も解決しなくなっていた。(キリスト教の)神は死んだ。永遠回帰という究極のニヒリズムから運命愛に至り、無から新価値を創造・確立する強い意志を持った者をニーチェは超人と呼んだ。しかし19世紀という時代はまだ、キリスト教の道徳にガチガチに縛られた時代だった。そうした時代背景の中で神の死を主張し、それ以後の価値体系を説くことは、それ迄無視され続けた自分の思想以上に、危険な賭だったのだろう。

それ故ニーチェはツァラトゥストラという自分の代理人に思想を文学的に語らせるという手段を選んだのだと思う。

キリスト教という弱者の道徳から、超人という強者の道徳へ。その姿勢は、時代によって翻弄され、ファシズムに利用されもした。そうした事実を含め、ニーチェは全身全霊を傾けて時代と格闘した。そのように思えてならない。

ニーチェがやったのは聖書のパロディーではなかったのかも知れない。新しい聖書を、無から創造しようとして、『ツァラトゥストラ』を書いた。そのように今は思える。

少し間を開けて再考を要する。

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